当時修学旅行は2年生の春休みに京都・奈良を見学、新幹線で東京を回って帰る、というのが恒例だった。
我々に行き先の希望を募ったのだと思うが、行き先が関西方面と北海道で分かれてしまった。担当のKawate先生が如何取りはからいましょうかとおそるおそる当時の沖田領之助校長にお伺いをたてたところ、「えっしゃ。えっしゃ」との答えが返ってきたそうである。
と言うわけで、鳳鳴史上初めて二通りの旅行が決まった。関西グループは今まで通り2年生の春休み、北海道グループは2年生の夏休みにそれぞれ決行された。
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ざっと数えたところ100人弱。1/4が北海道へ参加したことになる。
クラブ活動などで行き先を変更した者もいた。
引率はKawate先生、Shouji先生、Fukuhara先生。
布施明の「霧の摩周湖」が流行っていたのはこの頃ではなかったか。
因みに管理人は当時エレキ少年だったため、大阪では「ナンバ一番」、東京では「銀座ACB」へ行きたかったため、関西グループに入っていた。
但し、直前に親父が他界し結局旅行そのものに行けくなった。


